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2026年7月15日水曜日

「2026年 根室空襲犠牲者追悼のつどい」が行われました

 2026年7月15日

根室空襲から81年目となる今年も、鳴海公園にある「平和祈念の碑」の前で『根室空襲犠牲者追悼のつどい』が開かれました。市民など約30人が参加して犠牲者を偲び、平和を守ることへの誓いを新たにしました。

主催者を代表して根室空襲研究会の桐澤国男氏は研究会は結成から45年経ち昨年の戦後80年の節目で区切りにする思いがあったが、世界各地で戦禍の絶えない状況で、恒久平和を誓う機会にすることが必要だとつどいを企画した、とあいさつしました。

つどいでは花咲港で漁業を営む倉又博氏(93歳)から空襲当時の様子を聞き取った録音音声を流しました。
倉又氏は、当時、防空壕に入れなかった女性が子どもを抱いて花咲港まで帰ってきた。
しかし逆に防空壕に入った方々は何十名も爆弾の爆風で亡くなってしまったという話をされました。
また空襲で風にのって、根室からたくさんの紙が花咲港にまで飛ばされてきたことや、羅臼からも火災の炎が見えたことなど詳細に語りました。

それぞれ参加者は平和祈念の碑に献花し、亡くなった犠牲者に祈りを捧げました。今回の追悼のつどいでは空襲でご親族を亡くした方で今回初めて参加されたという方、また当時防空壕の中で何十人も亡くなった場所とは異なる防空壕に避難したことで助かった経験をされたという方も参列されました。

閉会あいさつでねむろ「九条の会」共同代表の神忠志氏は、「根室空襲」の研究をして書籍に取りまとめた根室空襲研究会の近藤敬幸事務局長たちの年代の方々が少なくなり、次の世代がどのようにこうした問題を後世に語り継ぎ、恒久平和の日本と世界を作っていくかということが課題だ。
今日は命の尊厳とは何なのかということを今一度見つめ直していく日にしたい、と述べました。





根室市では7月11日から20日までの期間、市役所ロビーで「根室空襲パネル展」を開催しています



同じく、7月15日に根室市社会福祉協議会様は戦災殉職者並びに無縁物故者追悼法要を実施しました

2026年7月2日木曜日

根室空襲犠牲者追悼のつどい 2026年

今年も根室空襲犠牲者の「追悼のつどい」が、根室空襲研究会とねむろ「九条の会」の共催で行われます

1945年7月14日・15日
根室市は米軍機の空襲により、400名を超える方々が犠牲となり、市街地の7割が焼失しました
根室空襲から今年は81年目を迎えます
このような悲劇を、戦争を二度と起こさないために、しっかりと後世に語り継いでいかなければなりません
戦争の犠牲となられた方々によってある、いまの平和を考え、戦争を考えます

日時 2026年7月15日(水)  午前11時~
場所 根室市鳴海公園 平和祈念の碑 前



2025年7月16日水曜日

空襲の惨禍を後世に語り継ぐ 根室空襲80周年展と若手記者等の講演会

2025年7月16日

終戦と根室空襲から80周年の節目にあたる今年、7月11日~15日に市主催の「根室空襲80周年展」が市総合文化会館で開催されました。
12日・13日には若手の新聞記者や空襲体験者の方々による講演会も実施。
二日間で市民ら約140人が参加され、戦争と空襲の悲惨さを学ぶ大切な機会となりました。

空襲展は当時の被害状況を伝える写真や、千人針や寄せ書きなど実際に使用された品々が展示されました。
また根室空襲研究会が作成した空襲に使用された米軍機の模型、建設にあたり多くの朝鮮人労働者の犠牲を強いた牧の内飛行場に関する解説パネル、一般兵士の宿舎として建設され戦後も使用されたという日輪兵舎の模型などが展示されました。
空襲展の期間中は多くの市民らが訪れ、来場者に展示資料の解説をした根室空襲研究会の近藤敬幸事務局長は「二時間ほども見学していた方もいた」と驚いていました。


二日連続して開催された関連講演会は北海道新聞社の若手記者二人が「記者がたどる戦争」として親族の戦争体験を記事にした内容について講演を行いました。

先川ひとみ氏は「101歳の祖父から受け継いだ戦争の記憶 満州事変の真実」という題で、満州事変のきっかけとなった柳条湖事件を祖父が見聞きしたこと、その後、満州国で五族共和を理念とする建国大学で理想を体験した半面、同じ大学で学ぶ中国人が当局に摘発されていた現実に矛盾を感じていた実態を取材した内容を語りました。
先川氏は生前に祖父が良く語っていた「戦争は人を狂気にする」という言葉を紹介し、「こうした時代を生き抜いた人の言葉であり、次の世代に残していきたい」と述べていました。

梶原康生氏は「語らぬ祖父が残した『沖縄戦記』」という題で沖縄戦に出征した祖父が持ち帰ったノートを巡り取材した内容を講演しました。家族には自身の戦争体験をあまり語らなかったそうですが、複数名の体験や聞き取った内容が書き留められた「沖縄戦記」という記録をもとに梶原氏は、祖父がどの部隊に所属し、どの戦地に赴いたのか等を調査しました。
「祖父は沖縄戦の過酷で悲惨な経験を語ることが出来なかったのではないか。だからこそ『沖縄戦記』を持ち帰って後世に伝えようとしたのではないか」と述べました。「時間が経過した戦争のことを調べるのは難しいが、みなさんの身近にある記録等から家族の戦争体験を知ることが出来るかもしれない。そうしたことを考えるきっかけとしてほしい」と語りました。

同じく講演会では、根室空襲研究会の近藤氏は終戦時に旧ソ連軍が北方四島に侵攻してきた当時の記録の朗読などを行いました。

空襲体験として、当時小学校三年生だった髙本政治氏は空襲から逃げた防空壕の中から見た赤く染まった空の景色を鮮明に覚えていることを語りました。

富山末子氏は根室空襲で叔母が亡くなった当時の様子について、菊池慶一氏の書籍朗読を交えて切々と語りました。



2025年7月15日火曜日

根室空襲犠牲者追悼のつどいが行われました

2025年7月15日

根室空襲から80年目の節目となる今年も、鳴海公園にある「平和祈念の碑」の前で、根室空襲犠牲者追悼のつどいが開かれました
根室空襲研究会とねむろ「九条の会」の共催です

市民ら約20人が参加し、悲惨な空襲による犠牲者の冥福を祈り、平和への思いを誓いました



2024年7月15日月曜日

2024年 根室空襲犠牲者 追悼のつどい

2024年7月15日

根室空襲から79年目となる今年も、鳴海公園にある「平和祈念の碑」の前で、根室空襲犠牲者追悼のつどいが開かれました
市民ら約30人が参加し、悲惨な空襲による犠牲者の冥福を祈り、平和への思いを誓いました


開会ではじめに根室空襲研究会の桐澤氏は、市街地の8割を焼失し400名にもおよぶ犠牲者を生じた1945年7月14日、15日の根室空襲の概要や被害状況を説明しつつ、「空襲犠牲者を追悼するとともに戦争の悲劇を再び繰り返すことの無いよう、根室空襲を後世に語り継ぎ、恒久平和を誓う」と述べました
また来年の根室空襲80年の節目に資料展などなんらかの事業に取り組むべく検討していると抱負を語りました

来賓として参加した根室市議会の田塚不二男議長は「恒久平和は人類共通の願いであり、美しい自然に囲まれた根室、明るく平和で安全な郷土を後世に引き継ぐことは私達根室市民の責務」とあいさつしました

犠牲者に捧げる追悼の歌として「海ゆかば」を鈴木氏が歌い上げ、続いて『追悼の言葉』を近藤敬幸氏(根室空襲研究会事務局長・ねむろ「九条の会」世話人)が述べました



これまで「根室空襲追悼のつどい」は、会長だった故細川憲了氏の読経、焼香でおこなってきましたが、今年から献花方式で犠牲者の追悼をおこないました
参加者は順次、平和祈念の碑に献花し、犠牲者の冥福を祈りました

閉会あいさつでは、ねむろ「九条の会」共同代表の神忠志氏は「空襲で犠牲になった方々はアメリカ軍の攻撃で亡くなったが、日本の軍国主義が犠牲にした人々だ」とのべ、「日本という国がいまどこを向いては知ろうとしているのか、私達一人ひとりが考えていくことが『恒久平和』に応える真の道だ」と参加者に呼びかけました。