2015年5月6日水曜日

北海道新聞 佐竹直子記者の講演 ①/5

北海道新聞 佐竹直子記者の、「2013年11月~2014年6月に北海道新聞夕刊釧路根室版に連載した「獄中メモは問う」をもとに、加筆、再構成した」書籍が、書店などで販売されています。

『獄中メモは問う 作文教育が罪にされた時代』 北海道新聞社 ¥1,296+税























2015年5月3日、ねむろ「九条の会」の主催による「憲法記念日のつどい」で、佐竹記者が講演された内容の一部分を要約してご紹介します ①/5

 この本は、戦時下に自分の生徒たちに自分たちの身の回りのことをありのままに伝える作文教育をしたということにより、治安維持法違反で有罪判決となった先生たちのお話し。
 あらかじめことわっておくが今の時節に会う問題としてこれをピックアップしたわけでないということを強調して言いたい。私は2013年8月に偶然古いメモを見つけた。それがいつなんのためにこのメモを書いたのかを調べていく過程で、偶然にも国会の特定秘密保護法の審議と時節が重なってきた。私は政治や司法のことを知らないまま、ゼロから調べなおして事実を辿っていった。それだけに記者の意図として、特定秘密保護法と重なるように誘導したり、国に異論を唱えるという意図は全く無い。事実をそのままに綴った本だということを強調したい。このことを通して、みなさんが未来を、これからを考える材料にしていただきたいと思う。

 坂本亮さんは釧路第三尋常小学校の教諭。子ども達に愛された先生だった。この方を私が知ったきっかけは、2013年夏に新聞社の終戦企画のため、教科書の墨塗りについて取材していたとき北海道綴方教育連盟事件のことを聞かされた。
 私はその事件のことをまったく知らず、その日からゼロから調べ始めた。
 昭和15年11月21日の早朝、坂本先生は突然特高警察に連れ去られた。
 
 北海道綴方教育連盟は、1935年(昭和10年)8月に北海道の小学校で作文教育に励んでいた先生方がつくった会。当時の一般的な作文は「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」など教科書をそのまま書写することが主流だった。それに対して、自分のくらしをありのままに書いて、お父さんへの気持ち、お母さんへの気持ちをそのまま書いて、子ども達の心を広げようという活動が当時一気に広がった。坂本亮さんはその連盟の中心的存在だった。
 北海道綴方教育連盟事件は、会に加盟していた先生方を中心に作文教育を一生懸命やっていた北海道の先生方が昭和14年から16年にかけて50人を超える大人数が逮捕された事件。そのうち11人が執行猶予つきの有罪判決をうけた。
 誰がいつ逮捕されたのかについて特高月報という記録があり、釧路公立大図書館では昭和9年から終戦直前19年までの記録が残っている。坂本先生は昭和15年11月に逮捕されたが特高月報に記録されている犯罪事項には、北海道綴方教育連盟の指導者として、小学校において特定の教科書なく、教師の創意で子供たちの力を自由に発揮させて…とある。これが資本主義社会の矛盾を自覚せしめ、共産主義を啓発しているとされた。子ども達の力を自由に発揮させることが犯罪事項であると記載されている。
 昭和15年11月に坂本先生ら道内で3人の先生が逮捕されたのをはじめに、翌年16年に大量逮捕があった。このうち起訴までされた先生方は2年半もの間、子ども達への作文指導を理由に拘禁された。逮捕された先生方は北海道全域にわたっている。
 
 なぜ先生方は逮捕されたのか。坂本先生のクラスの学級文集「ひなた」は裁判で有罪の証拠品とされた。どのようなことが書いてあったのか。例えば「父さん」という作文。当時どの家庭も貧しい中、高等中学校に行くのにも学費がかかった。お母さんは中学に行くのにお金がかかるから反対するが、お父さんは「行かないでどうする」と。でも父さんばかり働いでかわいそうだから「ぼく」は中学に行かないで働くと言う…こんな親を思う男の子の気持ちが書かれている。この文集にはこのような当時のくらしを描いた作文がたくさん載っている。それが治安維持法違反に問われる理由になった。
 坂本先生が逮捕されたあと、卒業して中学に進んでいた女生徒が、事件を担当した札幌の弁護士のところまで女の子ばかり5人で、先生の無実を訴える署名を届けに行った。
 その元女生徒を取材する中で「どうして坂本先生が、この文集が、罪になったのか今でもわからない。治安維持法とはいったい何を処罰する法律だったのか」と逆に質問されたが、私は答えることが出来なかった。
 
 私は治安維持法がなんなのかを勉強することからはじめた。

0 件のコメント:

コメントを投稿