2020年1月4日土曜日

憲法を考える講演会「改憲論の現在と民主主義の伝統」

2019年11月21日(木)

ねむろ「九条の会」は憲法を考える講演会を開催し、市民ら約50名が参加しました。
北海道新聞社釧路支社長の菅原淳氏より、「改憲論の現在と民主主義の伝統」とテーマで講演をしていただきました。
 自民党など改憲派は「押し付け憲法」論をさかんに宣伝していますが、現行憲法のもととなったGHQ案は、日本の憲法研究会の草案をもとにしており、そして憲法研究会の鈴木安蔵も、さかのぼれば自由民権運動運動の植木枝盛の私擬憲法案に大きく影響をうけている。平和の文言や生存権、普通教育などは国会の論議の中で加わってきた内容であること等、日本人の手でしっかりとつくられてきたものであることを詳しく説明されました。
 また現在の自衛隊明記の「加憲論」は、国民の反対をそらすための手法にすぎず、その目的は集団的自衛権の行使を完全に行うことであると指摘されました。
 こうした内容をしっかりと学びながら、憲法をしっかりとまもり生かすための運動を、2020年も大きく広げていきたいと思います。


細川代表世話人 あいさつ
 私は昭和四年生まれで91歳になる。戦争中に国家を挙げてマインドコントロールされた軍国少年だった。昭和20年に日本は無謀な戦いに敗れて無条件降伏をしたが、日本で700万人、アジア全域で2000万人をこえる大きな犠牲者を生んだ経験を通じ、新しい平和憲法を私たち国民の総意で作り上げた。日本人は平和を求めて9条をつくった。75年という年月を日本は一人の命を奪うことが無い平和な社会をつくってきた意味を感じている。
 近年、戦争に加担をする国に向かわせようとする政治の集団が台頭している。戦争を知らない政治家によって変えようという動きが濃厚になっている。これに対して、私も戦争法の違憲訴訟の原告団の一人として釧路地裁で意見陳述をおこなったが、何とかこのような動きを変えていこうと全国各地で運動が広がっている。
 この間、天皇陛下の即位に関連して「天皇陛下万歳!」の様子が報道されていたが、80年前の大政翼賛会の姿に重なった。当時は国家の政策に背くものは非国民として断罪をされた。この時代と重なる思いがある。
 また先般、日本で武器見本市(DSEI JAPAN 2019)が開催され、日本企業が60以上参加したというニュースに愕然とした。我々が何も知らないうちに、このようなことが起きているという危機感をもった。
 今日は憲法講演会だが、こうした状況についても心に留めていただき、これからの憲法を守る運動に一層のご協力を願いたい。

菅原 淳 氏 講演 (事務局が聞き取った内容のメモ書きの一部です)
 地域から憲法をまもる取り組みを進めていかなければ、今後どのようになるのか不安な状況が広がっている。北海道新聞はもちろん政治的に中立であるが、社論は護憲とりわけ9条改憲に反対をしている。そのことを訴え続けることは世の中に対する責任だと思っている。

Ⅰ 改憲論の現在①
 4月頃に参議院選挙にむけて自民党改憲のマンガが配布されたマンガでよく分かる~憲法のおはなし~ 自衛隊明記ってなぁに?このパンフレットのテーマは「押し付け憲法論」だ。安倍首相の改憲の論拠はそこにある。その一方で明治憲法は評価している。
 大日本帝国憲法では主権は天皇にある。その一方で国民の権利義務では「法律に定める場合をのぞいて」など条件付きで権利であり、どのような法律を作るのかが問題になる。治安維持法に代表されるような弾圧法が成立すれば、そちらが優先される。民主主義や学問の自由が無くなり、戦争への道に至った。そのためポツダム宣言では「日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ」とされた。
 戦後の改憲において日本の松本国務大臣は、天皇が統治権を総攬するという原則に変更を加えない等の方針のもと(松本4原則)、1946年2月にGHQに提出された「憲法改正要綱」は明治憲法とほとんど変わらないものだった。このようなポツダム宣言の精神に反した草案は当然のように却下された。このような経過を見れば日本国憲法は、松本大臣や幣原内閣にとっては「押し付けられた」憲法かもしれない。しかし当時の日本国民全体にとって、本当に「押し付けられた」憲法だろうか。
 1945年10月4日にマッカーサーが近衛文麿に明治憲法改正を促したのち、いくつもの草案が国内の政党や民間から発表された。例えば、
 1945年11月11日、日本共産党の新憲法の骨子では「主権は人民に在り」、「民主議会は18歳以上の選挙権被選挙権・・・」。
 1946年1月21日、自由党の憲法改正要綱では「統治権の主体は日本国家なり」(国家の主権は国家?)「天皇は統治権の総攬者なり」「・・・の自由は法律を以てするも猥りに之を制限することを得ず」(猥りでなければ制限できる?)
 1945年11月22日、高野岩三郎(憲法研究会のリーダー。のちのNHK会長)が日本国憲法私案要項を発表。「日本国ノ主権ハ日本国民ニ属スル」と明確に記した。また「日本国ノ元首ハ国民ノ選挙スル大統領トスル」と天皇制の廃止を掲げた。
 1945年12月12日、布施辰治(自由法曹団の創立者の一人)の憲法改正私案は、国民主権や現在の象徴天皇制に似た仕組みを示した。
 そして1945年12月22日に憲法研究会が憲法草案要項を発表した。「日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス」とし、象徴天皇制や言論学術宗教の自由を掲げた。また「国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス」「男女ハ公的並私的ニ完全ニ平等ノ権利ヲ享有ス」とした。
 1946年2月3日にマッカーサー三原則が示されたが、そこでは日本統治を優位に進めるため天皇を元首とし、国家の主権的権利としての戦争を放棄、日本の封建制度の廃止を求めている。敗戦からここまで期間に様々な民主的な内容の議論や提案があった。それにも関わらずGHQに提出された松本案は前述のような程度の内容に過ぎないものだった。これが自民党が主張している「押し付け憲法論」の根底にある。民主的な憲法を策定することを当時の幣原内閣が怠ったに過ぎない。その結果、GHQ案が起草された。
 鈴木安蔵の憲法研究会の「憲法草案要項」がGHQ案の土台となった。憲法を策定するメンバーだったGHQ民政局法制課長ラウエル中佐は「(憲法研究会)の提案した憲法案に含まれる条文は民主主義的で受け入れられる」としている。このように日本人が書いた憲法案をもとにしてGHQ案が作られている。決してアメリカ人が8日間だけで勝手に作ったわけではない。
 また日本国憲法における「平和」は国会の審議の中で追加された言葉だ。現行9条の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文言は、国会で議論の末に盛り込まれたものだ。原案に全く無かった生存権や、初等教育としていたものを中学校までの普通教育を義務教育とした。
 アメリカの文章を翻訳したため日本語としておかしいという指摘があるが、従来は法令は文語体であったが、政府が作家の山本有三に口語化することを依頼するなど、口語体で憲法草案を作ったという経過がある。
 これらを見てきた中で、日本国憲法はアメリカの押し付けというが、相当に日本人の手が加わってきた憲法であることがわかる。

Ⅱ 民主主義の伝統
 明治14年(1881年)楠瀬喜多は高知県の上町町会で女性の参政権を実現させた。この選挙は戸長に投票権があったが、夫を亡くした喜多は戸長だったが女性であることを理由に投票権が無かった。そのことを県に抗議し、投票権を認めさせた。
 明治13年に自由民権運動のなかで国会期成同盟が結成された。明治維新後、徴兵や納税の義務を負った一方で、発言権がないことに対する反発の運動が広がり、各地で私擬憲法案が示された。
 その中でも植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」(明治14年 1881年)は「日本の国家は日本各人の自由権利を殺減する規則を作りて之を行うを得ず」とした。また思想・心境・集会・結社・学問などの自由権を盛り込んだ。また抵抗権、革命権をうたっている。この植木枝盛の憲法案を発見したのが、鈴木安蔵だ。憲法研究会の草案は植木の影響を強く受けている。日本国憲法の草案はGHQだが、その下は憲法研究会の草案であり、さらに元をただせば明治時代の自由民権運動に源流がある。これこそ日本の民主主義の誇るべき、まさに「美しい伝統」ではないか。また私擬憲法は五日市憲法なども有名だが、2013年に当時の美智子皇后があいさつの中で「世界でも珍しい文化遺産」と述べていた。

Ⅲ 改憲論の現在②
 自衛隊明記の加憲論とは。自衛隊明記をして何が変わるのか?
 自民党は現在9条2項は残すとしている。現在の改憲派は、現行憲法を否定するのではなく補う形「加憲」なら、国民に反対されないのではないかという論理で進めている。
 桜を見る会の問題などがあり、国民投票法は今年秋の臨時国会では見送られた。改憲派のスケジュールはずれ込んでいるが、2021年の安倍首相の任期中の改憲をめざして、さらに踏み込んでくる可能性がある。
 集団的自衛権の限定的な行使容認は何を意味しているのか。安倍首相の著書では「日米安保条約を堂々たる双務性にしていく」と述べられている。つまりアメリカに一方的に守られるのではなく、日本も命をかけること。軍事同盟は血の同盟だが、現行の憲法下では、アメリカが攻撃されても日本の自衛隊は血を泣かすことはない。これは完全なイコールパートナーではない、としている。自衛隊を憲法に書き込むことで、集団的自衛権を完全に行使できるようになる。それを安倍首相は目指している。元駐タイ大使の岡崎久彦氏は「自衛隊員が無くなる懸念はあるが、そもそも軍隊とはそういうものではないか」と。
 日本の若者の血を流すために憲法改正を目指しているとは、私は考えていないが、集団的自衛権の全面的な行使の行きつく先は、その方向になってしまう恐れがある。

質疑応答
Q)若い方が憲法論議や運動に参加するような取り組みをどうしたらよいか?
A)安保法制の時に若い人たちが、ラップのような形で声を上げて運動するなどおこなった。自分たちが血を流すことが、リアルに感じられると広がりがあるのではないか。新聞でも若い人たちが解るよう紙面づくりを進めているが、地道に取り組みをしていくほかない。2016年の参議院選挙で2/3以上を占めたのにここまで押しとどめられている。若い世代もしっかりと育っているのではないか。