2015年5月6日水曜日

北海道新聞 佐竹直子記者の講演 ②/5


2015年5月3日、ねむろ「九条の会」の主催による「憲法記念日のつどい」で、佐竹記者が講演された内容の一部分を要約してご紹介します ②/5

 治安維持法は1925年(大正14年)、第一次世界大戦後に国体の変革を目的とする結社や行動を処罰するための法律として制定された。当初は共産党や革命的運動を取り締まることを目的としたが、1930年代に入り徐々に適応範囲が拡大され、教育や文化・芸術の活動まで処罰されるようになった。特高月報には昭和15年くらいから、人形劇、紙芝居、芸術、詩、短歌などが犯罪の項目として並んでいる。
 2013年8月ころから現代の日本では特定秘密保護法の問題があり、私は政治の世界は報道を通して知る範囲だったが、ちょうど自分が治安維持法を調べていると「あれ、なんかニュースに出ている話と似てるぞ」と思うことがあった。
 治安維持法は制定前から国民から反対の声が上がっていたが、それに対して政府は警察や検察が一方的に犯罪だと断定して取り締まることはないと、議会に説明していた。ところが3年後に、議会の承認を得ない緊急勅令で治安維持法を改正し、目的遂行罪を導入した。

 私は前述の終戦企画に綴方事件を取り入れたいと考えた。新聞記事に坂本亮さんの名前を出すためには遺族に承認を取る必要があり、札幌にいる遺族に連絡をとった。遺族は坂本先生が所持していた大量の書籍を道立文学館に寄贈する予定だったが、その中に戦前の作文教育の資料もあると聞き、私は2013年8月20日に札幌に向かった。
 書庫の比較的最近の書類の中に、赤茶けて古ぼけて今にも崩れ落ちそうな書類が挟まっていた。インクがつぶれて何が書いてあるかわからなかったが、記者の勘で何か大事なものが書かれているに違いないと思った。遺族も見たことがない書類。カメラで接写しようとして、手が震えた。
 書類は麻ひもで16枚閉じてあって、両面にびっしり書かれていたが旧字体で書かれたもので、インクも滲んでおりほとんど読み取ることができなかった。そのメモの中で「警察」という字が目に飛び込んできた。「叩く。蹴る。殴る。座らせる。そのうちに自分も妙な気持になり、手記を直され、教えられているうちに赤くなっていった」という一説が読み取れた。
 メモの解読をいろいろな機関に働きかけたが相手にされなかった。仕方なく自分で解読しようとした。解読のためには用語や人間関係なども理解する必要があり、膨大な資料を集め、大変に苦労しながら3か月かけてメモを読み解く作業を行った。解読したものを小樽商大の荻野教授などいろいろな専門家の協力を得て公表した。

 メモの「警察」の項には前述の暴力の記録。「いつまでぐずぐずしているんだ。もう半年になるのではないか。ほかのものはみんなもうおわるぞ」という長期拘禁でおどして警察に都合の良い供述を導こうとしている記録。「検事」の項では、捜査当局に都合の良いように書き直した別な人の調書を読み上げ、「お前もこれと同じなんだろう」と脅した。「改心しない間は1年でも2年でも拘留するぞ、と」。さらに当時は裁判の前に案件を裁判にかけるかどうかを判断するための予審という制度があり、本来的には中立であるべきだがその判事は、こんな調書では検事が困ると言っているとして、書き直すよう脅した。また知らない間に予審の判事が捜査当局に都合の良いように調書を書き直していることも、メモに記載されていた。
 最後に「どこまでもたたかわなければならないと思う」といった裁判にむけての決意の文章も多く書かれていた。逮捕された52人の先生のうち12人が起訴され11人が有罪判決をうけた。このメモは裁判への対策の為に極秘に弁護人等にあてた文だと考えられる。
 綴方教育連盟事件は三浦綾子さんの「銃口」の題材で有名だが、この事件の核心の舞台は釧路だ。道内の先生方は釧路の刑務所にまとめてあつめて拘禁され、釧路地方裁判所で有罪判決をうけた。調書を書き換えた判事や脅した検事の舞台はすべて釧路だ。
 このメモを書いた方は松田文次郎さん。北海道綴方教育連盟のきっかけとなった「ナット売り」という大変情緒的で美しい作品があるが、その作文を指導した先生。この獄中メモは書いてある内容は悲惨だが、文体が非常に美しい。作文教育をおこなう、文章を書くことになれていた人だからこそ、こうしたメモをのこせたのではないかと思う。

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